視覚(文化)論
Visual Culture Studies

視覚文化論とは、美術史や文化研究の領域から発展しつつも、狭義の芸術作品のみならず大衆的な映像メディア、工芸・デザイン、広告ポスター、マンガなど、総じて「視覚的」と形容される対象を批判的に考察するためのアプローチを指す。

デザインの歴史を振り返るには、建築やプロダクト、グラッフィックであっても、その製作者に当たる天才的なデザイナーの名前とともに語られることがいまも一般的である。しかしながら、普段の生活に溢れかえるそれらの対象は、ほとんどがそのデザイナーの名称を明らかにしていない。それらのうちでも視覚に訴えかける人工物は、いかにして私たちの目を惹きつけ、メッセージを伝え、欲望を喚起することになるのか。こうした問いに対して、作者やデザイナーを特権化することなく、デザインや関連する対象が社会や歴史の文脈のうちにおいていかにして構築されてきたのか、その背後にいかなるイデオロギーが潜んでいるのを検討するのが、視覚文化論と呼ばれるアプローチである。

「ヴィジュアルカルチャー・スタディーズ」という領域が英語圏で登場したのは、1990年代のことであった。『ヴィジュアルカルチャー入門』(岸文和ほか訳、晃洋書房、2001゠1997)の著者、ウォーカーとチャップリンによれば、その源流はさらに1960年代の人文系の知的領域に生じた価値転換にまで遡る。この時期にはフランクフルト学派や構造主義といった理論的背景から、精神分析や記号論などをツールとして、文化の政治性を批判的に検証しようとする機運が高まっていた。そうした潮流を受け継ぎつつ、その後の視覚文化論の成立に強い影響を与えたのが、20世紀後半における美術史の変容とカルチュラル・スタディーズの展開であった。

この時期のイギリスでは、芸術実践の多様化や消費社会の成熟を受けて、従来の絵画や彫刻の歴史を軸とした美術史教育の限界が指摘されるようになり、それを乗り越えようとする要請が関連する教育・研究機関の内外で生じていた。その結果として例えば、T・J・クラークやG・ポロック、N・ブライソンらが先導する「ニュー・アートヒストリー」が、歴代の美術作品が置かれた社会的ないし政治的な文脈を取り込んだ考察を試みるようになる。また1972年には、美術作品のみならず広告や写真、デザインなどの視覚文化を平易な語り口で分析してみせたJ・バージャーのテレビ番組『Ways of Seeing』がBBCで放映され、これを元に書籍化された『イメージ 視覚とメディア』(伊藤俊治訳、ちくま学芸文庫、2013゠1972)は、現在にいたるまで視覚文化論の古典的著作となっている。

さらに、この時期に前後するかたちで、同じくイギリスで台頭した「カルチュラル・スタディーズ」の影響力も見逃すことはできない。これは当時の保守的な政治動向に対する反動や批判から、マルクス主義以来のイデオロギー批判を多様な文化事象に応用し、テレビや音楽、ファッションなどを分析する社会学的なアプローチのことを指す。カルチュラル・スタディーズはバーミンガム大学の現代文化研究センターを拠点として、その所長を勤めたS・ホールを中心人物としながら、わけても人種、ジェンダー、階級にまつわる問題がどのように身の回りの文化実践に潜んでいるのかを暴き出していく。

これらの潮流はあくまでイギリスを中心化したものだが、それ以外にもW・ベンヤミンらの批判理論やM・フーコーの考古学的方法論、R・バルトが進めた構造主義的な文化批評などが、視覚文化論に与えた影響も見過ごせない。北米圏ではマクルーハン以降のメディア論や、雑誌『October』を中心とする美術・映画批評、なかでも美術史と科学史を接続しつつ近代における視覚の成立を検証したJ・クレーリーによる一連の仕事がつけくわえられる(これは上述の動向に対して、「ヴィジュアル・スタディーズ」とも呼ばれる)。そのいずれに力点を置くにせよ、消費社会の成熟とその政治・社会的背景、そして芸術・文化研究の(自己)批判的な要請が折り重なったところに、フェミニズムやポストコロニアリズム、精神分析、そして映画・写真論が流れ込むようにして形成されたのが視覚(文化)論であったと要約することができよう。

さらにデザインとの関連について言えば、冒頭で紹介した著作の共著者であるJ・A・ウォーカーとS・チャップリンが、それぞれデザイン史と建築史の専門家であることはあらためて注目に値する。実際に『ヴィジュアルカルチャー入門』の第5章「生産・流通・消費のモデル」では、従来の芸術論のような作者‐鑑賞者の構図が退けられると、文化的な生産活動の背後にあるイデオロギーや資源の問題、ショッピングなどの購買活動から惹起される欲望、レイヴなどの音楽活動における観客の役割などが分析されている。また、ウォーカーはこれに先立つ自身の単著『デザイン史とは何か』(栄久庵祥二訳、技報堂出版、1998゠1989)の段階で、すでにデザインにおける作者中心主義の問題を指摘すると、ここまでに挙げた多様な言説から理論と分析をバランスよく織り交ぜた方法論を提唱していた。付け加えておけば、これと同時期に発表されているA・フォーティの『欲望のオブジェ』(高嶋平吾訳、鹿島出版会、2010=1986)もまた、デザイナーによる制作過程よりもキッチンやオフィスにある生活機器が社会的にいかなる価値を形成してきたのかを批判的に分析し、後の視覚文化論と近接したアプローチを展開してもいる(実際、ここに挙げた両者のアプローチはともに「物質文化論」とも形容され、最近までの歴史学や人類学の動向と関連づけることもできる)。

このように従来の高級/大衆文化の接続や融合を図る視覚文化論の成立において、デザインの領域がその触媒のように機能したことは必然であったとも言える。そうしてデザイン史/論の性格を引き継いだ視覚文化論が、実際に哲学や思想などの理論を取り込む一方で、視覚に関連する事象を分析・記述することに重きを置くアプローチであることは重ねて強調しておくべきであろう。実際に写真や映画の歴史において「正統な」歴史の周縁に追いやられていた事例──各々の土地や民衆に根付いた固有の文化として「ヴァナキュラー」とも呼ばれる──の分析を得意とするG・バッチェンやT・ガニングの仕事は、それぞれに写真論や映画論を土台としつつも、最近の視覚文化論を牽引するものとなっている。さらに、ドイツ語圏で独自に展開してきたイメージ学(V・フルッサー)やコンピュータに独自の力点をおくメディア哲学(F・キットラー)、またはデジタル技術以降の変遷に着目したニューメディア論(L・マノヴィッチ)、そして国内外で盛んなマンガ研究やアニメーション論が合流することにより、視覚文化論の対象とアプローチは不断の拡張と更新を続けている。

(増田展大)

関連する授業科目

  • 未来構想デザインコース専門科目 デザイン美学

参考文献

  • ジョン・バージャー(2013=1972)『イメージ 視覚とメディア』伊藤俊治訳、ちくま学芸文庫
  • ジョン・A・ウォーカー、サラ・チャップリン(2001=1997)『ヴィジャル・カルチャー入門』岸文和ほか訳、晃洋書房
  • ハル・フォスター編『視覚論』(2007=1988)榑沼範久訳、平凡社ライブラリー
  • 石岡良治(2014)『視覚文化「超」講義』フィルムアート社