混沌マーク
The Konton (Chaos) Mark
九州芸術工科大学の初代学長である小池新二は、「大学を創る」(『工芸ニュース1』vol.39, 1971, 工業技術院製品科学研究所、丸善株式会社)において、九州芸術工科大学の目標を「土木、機械、電機、造船、化学のような技術別の専門設計に従事するエンジニアを養成するのが目的ではな」いと述べている。彼は次のように言う。
これまで日本の社会──特に大学社会では、特殊化し専門化すればするほど学者として尊敬され、深い人間的基盤にたって視野を拡げれば拡げるほど、俗人(非学者)として軽視される傾向が強かった。
ここでは、各専門分野が自立して発展する専門化と、それにのみ専心する専門家(specialist)とが自然と人間を分断することが批判され、そうした悪しき専門家を育成する従来の技術者教育に懸念が示されている。 これに対して小池は、「専門を異にする人達と協力しながら人生の福祉を増進するにもっとも適切な計画を樹立し、設計を行う」のがデザイナーの職務であると主張し、それを「創造的な co-ordination 」と定義する。
つまり専門技術者たるエンジニアが、垂直的(vertical)に特殊化されたspecialist であるとするならば、われわれの学生は水平的(horizontal)に専門化された generalist を理想としている。
小池によればデザインとは一つの専門的技術や学問ではなく、ひとつの総合知なのであり、専門化につねに警戒を怠らない知と教育のあり方こそが求められる。そのようにはぐくまれる知と人間こそが地球環境を守ると小池は主張する。そのような理念は、九州芸術工科大学の学章である「渾沌マーク」に表現されていると小池は述べる。
われわれの住む地球という自然環境を大切にすることは最大の前提であるが、この問題については別の機会に譲り、ここではわれわれの理念を象徴する学章(渾沌マーク)をあげておくことにとどめよう。このマークのアイデアは“荘子”内篇座帝王第七にある次のような寓話に基づいて、ミラノ在住の彫刻家吾妻兼治郎氏のデザインしたものである。(同、註2)ここで言及されている『荘子』における渾沌の物語とは次のようなものである。南海と北海の神々は、自分達を常日頃もてなしてくれる自然、すなわち渾沌に報いようとして、目・耳・鼻・口といった七つの穴を一日に一つずつ混沌に開けていった。ところが七日目に渾沌は死んでしまった。この物語には、自分の知を得る手段であるところの枠組み(感覚器官、専門分野、メディア)を相対化できずにそこに現象する知を絶対化し、自然を細分化していく人間の在り方への批判が込められている。
学章(渾沌マーク)
渾沌マークには4つの穴が開いているが、これらは開学当初の環境設計学科、工業設計学科、画像設計学科、音響設計学科を象徴する。これらの学科は、自らの専門性に囚われることなく分野を横断し、人間性の観点から諸技術をゆるやかに総合しゆく四つの窓であるはずのものである。だが同時にそれらの窓は、「教官中心の sectionalism 」に陥っていく四つの「穴」にもなりうる。九州芸術工科大学、そしてそれを継承する九州大学芸術工学研究院の学章は、専門化やセクショナリズムに対して不断の警戒を示すデザインの自己批判を示していると解釈できる。
(古賀徹)