高次のデザイン(小池新二)
Higher Order Design
「高次のデザイン」とは、九州芸術工科大学(福岡市、1968年創立)の初代学長である小池新二が提唱した概念である。九州芸術工科大学は、技術における人間主義(技術の人間化)を建学の理念とし、デザインの国立単科大学として日本で初めて設立された。その設立準備室長であった小池は、設置時の大学案内(1968)において、大学の目的について次のように述べている。
目的:科学および芸術を総合し、その全体的な精神による高次のデザインを確立するため、これに係る専門の学術を研究教育する。(九州芸術工科大学『九州芸術工科大学―設立に至るまでの審議経過の記録』、芸術工学研究、2000年、166頁以下)
なにゆえに「科学と芸術の総合」なのか、「高次のデザイン」とは何かについて、引き続き「本学の使命」と題された綱領的文言が詳細に説明していく。すなわち、「近代の科学技術は、それぞれの分野の専門分化によって、著しく進展し」たが、「それと同時に、時として『技術』の独走におちいり、いわゆる人間疎外の現象が現われていることもまた否定することはできない」。そのうえで「『技術』をその本来あるべき位置に正しくすえ、かつ、いかに機能させるかということは、技術を特色とする現代文明最大の課題の一つである」と主張する。
1968年と言えば、高度経済成長の弊害として公害が発生し、また、東西冷戦を背景とした核兵器の開発競争、ライン労働のような産業における人間疎外などが問題化していた時期である。人間性を発展させるはずの技術が人間から疎遠なものとなり、機械的に「独走」し、有機的発展を望む人間性の障害となっている。そしてその状況を改善するためにもっとも重要となる理念が「技術の人間化」であると主張される。
技術の人間化とは、一つには、技術の発展自体を人間的基準に立脚して進めることであり、二つには、技術の発展を人類の福祉と人間生活のいっそうの充実のために役立たせることである。言い換えれば、技術の基盤であるところの「科学」と、人間精神の最も自由な発現であるところの「芸術」とを総合し、その全体的な精神によって、技術の進路を計画し、その機能を設計する。すなわち、きわめて高次のデザインを確立することである。
「人間的基準に立脚」という文言は、まさしく技術の人間主義を指している。それを受けてこの綱領は「人類の福祉と人間生活」の充実を挙げる。その鍵は「芸術」だと名指されているが、それは狭い意味での高級芸術や造形芸術だけではなく、広い意味での人文諸科学、つまり特定の目的に拘束されない有機的な探究の論理を指している。だとすれば、ここでいう両者の「総合」とは、一方で「独走」する科学技術の機械論的な自動運動を「人間精神の発現」としての有機的原理によって統御し、他方で機械論の外在的・偶然的性質によって有機論を開き、より包括的な有機性を展望するという相互的関係を意味することになろう。有機性と機械性とが相互に刺激しあうことによって、技術連関のうちに生きる人間──利用者だけではなく制作者──の魂もまた、機械的な独走状態に従属する他律的なありかたから離脱し、さらによく、さらに豊かに展開することができる。
小池によればこれを実現するのが「高次のデザイン」である。ここには産業や資本の利益に奉仕するために製品を美的に装飾したり、それによって生活者を無用な消費に駆り立てたり、人間にとって何が真に必要なのかを自分の頭で考えることなく注文主や上司の要求に従ってただ手を動かし、結果的に人間を不幸にするデザインのあり方への批判が含まれていると考えられる。
これに対して、人間にとって真によいものとは何かを根底から考えることにより、現代技術とそれを支える近代科学の機械的なあり方に人間性の観点から介入し、様々な専門技術をそのために統合していくことが小池によれば「高次のデザイン」である。小池新二は「芸術工学の目指すもの その教育的側面」という文書(同『記録』所収)において、各専門技術を人間性の観点から統合する技術者が欠けていると主張し、そうした高次の技術者を「ミッシング・テクニシャン」(見失われた技術者)と表現している。
近代の工業社会が複雑な工業技術を発達させるに従い、工業が社会の様々な要求に対応して、一つの製品をまとめ上げるために総合組織者(Coordinator)を必要とすることは、航空機や自動車はもちろんのこと、建築物からスプーンに至るあらゆる製造工業について痛感されながら、そのような技術者は、一体どこに求めたらよいのか、それにはどのような専門知識が要求されるのか、誰もはっきりした説明を与えられないできた。そのため、欧州ではこのような技術者は久しく missing technician と呼んでいた。
小池は「ギリシャ以来の伝統を持っているヨーロッパでは、初めテクネー(art and technology)の総指揮者である建築家がこのような役割を演じていた」と述べて、その代表例としてベーレンスやグロピウスを挙げている。小池にとって、機械的に「独走」する産業社会の論理に有機的な論理によって統制をかけるという人間中心的なデザインの理念は、ウィリアム・モリスに端を発し現代の機能主義に至るモダンデザインの伝統が体現するものであり、それは結果的に人間以外の自然環境の維持に資するものであった。
(古賀徹)