第33回デザイン基礎学セミナー『初期ロマンティークというデザイン:フランツ・シューベルトをめぐって』
「ここではない何処か」への抑えがたい衝動がロマン主義の要件であったとすれば、19世紀初頭にあってその衝動は、いまだ国家や民族の色に染まることを免れていた。後代へと幾筋にも反射する純度の高い光源がここにはある。シューベルト(1797-1828)は私たちに何を投げかけた(Projekt/Entwurf)のか?──精神分析やケア思想、フェミニズムの知見を借りて掘り下げたい。
講師
堀 朋平 Hori Tomohei
住友生命いずみホール音楽アドバイザー、九州大学ほか非常勤講師。東京大学大学院博士後期課程修了(文学博士)。他ジャンルと交わる“やわらかな”音楽研究をこころざしている。『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッシング)で令和5年度芸術選奨文部科学大臣新人賞(評論部門)。共著に『バッハ キーワード事典』(春秋社)、共訳書にボンズ『ベートーヴェン症候群』(春秋社)など。
聞き手
山内 泰 Yamauchi Yutaka(NPO法人ドネルモ代表)
NPO法人ドネルモ 代表理事、株式会社ふくしごと取締役、ポ二ポ二(大牟田未来共創センター)理事。芸術工学博士(専門は美学)。ドネルモでは、超高齢社会を見据え、学び合いの場づくりや社会のしくみづくりに取り組む。
日時
2025年10月14日(火)18:00~20:00(開場 17:45~)
会場
九州大学大橋キャンパス・印刷実験棟2F+オンライン (ZOOM)
*ご関心のある方はどなたでも自由に参加できます。参加ご希望の方は前日までに、こちらの申込みフォームからお申込みください(締切:1/29、講演は日本語のみ The lecture will be given in Japanese only.)。
*オンライン参加をご希望の方は、上記フォームに入力頂いたアドレスに当日、URL等のご案内をお送りします。事前にZoomの最新版をダウンロードしてください。
主催
九州大学大学院芸術工学研究院・デザイン基礎学研究センター
共催|九州大学芸術工学部未来構想デザインコース
問い合わせ先|古賀徹
designfundamentalseminar#gmail.com(#は@に置き換えてください。)

レビュー
ロマン主義というものが自らの心情によって既存の形式や体制を破りゆくものだとするならば、それはデザインと相性が良いとは言えないに違いない。そうした予断をもって堀朋平さんのセミナーに臨んだが、彼のプレゼンやその後の質疑応答によってその予断は破片となり、その破片たちとともに様々な思いが会場を巡ることとなった。
ロマン主義を特徴づける論者として大御所シュレーゲルを堀さんは導入する。シュレーゲルの言う「ロマン的イロニー」とは世俗的なものから超越するはずの自己もまた世俗に塗れていることを自覚する引き裂かれた意識のことである。依って立つ大地を失いながらもこの分裂と矛盾に駆動されて断片的な物事を心情は収集し接続する。愛によって世界を包摂しそこに世界の意味を確立しようと望みつつその試みは失敗を余儀なくされ破綻した形象たちが残される。自ら断片化しゆくそうした流離の道行こそロマンティッシュなのである。
とはいえ堀さんによると、そのような道行は淋しく孤独でありいつしか国家や民族に統合されてしまう。そこでは意味と形象とが不可分離に一致し、有機的に統合された集団を象徴するナショナリズムが生じる。
今回聞き手を務めた山内豊さんは、民族主義に陥る以前の初期ロマン派を特徴づけるものとしてインフォーマルで可塑的なサークルの存在を指摘した。ケアの実践において入所者やそれにかかわるスタッフたちがパブリックには表明できない「本音」を語り支えあう状況にそれは似ていると山内さんは言う。個人の自由な心情はそのような親密で壊れやすい関係においてそのつどかろうじて支えられる。シューベルトの音楽を構成する様々な音楽的形象と彼を取り巻くシューベルティアーデの関係がそれである。
堀さんが引用したシュレーゲルの言葉によれば、音楽や芸術の「企て」は「将来からもたらされる断片」(アテーネウム断章22)である。何かを求愛するエロースの衝動に導かれる人々のつながりは目的もなく明日をも知れぬ。そんな未知の未来から様々な形象がいわば泉のように湧き出てくるのであろう。ドイツ語における「企て Entwurf / Projekt 」は離れたところに何かを投げること、つまりデザインを意味する。だとすればロマンティークなデザインとは、目的がわからずそれでも何かを探し求め、しかもその熱情が周囲の「友情」によって支えられ、むしろその周囲の方から流離の道がそのつど示唆されるような論理を意味することになるだろう。メインテーマは前もって与えられるのではなく、むしろその不在のままに、生き生きとした複数の副次主題が寄り合うことから紡がれ出す。
形としての結晶化に至らない形、形の存立と形の否定、人間への進化と動物への退化、規律訓練の実行と無規定な戯れ、能力への前進と力への後退、そうした相反する方向性が交錯し反復すること、そのようにロマンティークの運動を位置付けることができる。それは向井周太郎がゲーテの植物学のうちに見出したデザインの生成の論理と異なるものではない。
たしかにロマン主義とデザインは相性が悪い。しかし堀さんがシューベルトのうちに見出す生成の論理は、じつのところデザインの方法論とその価値の中心として機能しているのかもしれない。
(古賀徹)