2020.2.10

第12回デザイン基礎学セミナー『デザイナーとは誰か?:「プロフェッショナリズム」からみるデザイン原論』

デジタル化が進むことで、デザイナーの職能が生活者とのあいだでボーダレス化し、曖昧化しつつある。また、デザイナーがAIに取って代わられるかもしれないという不安もある。そうした状況のうちでデザインの新しいあり方を生み出す人々を「プロフェッショナリズム」という観点から考察し、新たなデザイナー像を探る。

講師

田村 大(株式会社リ・パブリック共同代表)

株式会社リ・パブリック共同代表。九州大学客員教授。デザイン思考/ビジネスエスノグラフィの第一人者として、国際的に知られる。イノベーションを持続的に生み出す環境デザインをめぐり、国内外・産学官を横断した研究と実践を進めている。

日時

2020年2月10日(月)16:30-18:30

会場

九州大学大橋キャンパス デザインコモン2F

レビュー

デジタル化の進展により、デザイナーは素人とAIの双方から職能を脅かされている。そんな時代にあって、デザイナーのプロフェッショナリズムとは何か。デザイナーの死活を制するこの問いに対し、リパブリックの田村大さんは、〈専門家・職人・エリート〉という従来のプロ像は失効したと主張する。

専門家ではなく、「分類を書き換える」人がいまやプロである。馬車から進化してきた自動車と、自転車を起源に開発が進んだ軽自動車、どちらもいまでは近接しているのに、歴史の違いからそれぞれの枠にメーカーも制度もこだわり続けている。専門の「サイロ」の壁を崩し、あらたな領域をつねに作り出す人、それがプロなのだ。

ジリアン・テット『サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠』(土方 奈美訳、文春文庫、2019年)
ジェレミー・リフキン『限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭』(柴田裕之訳、NHK出版、2015年)

職人ではなく、「物と人との関係を書き換える」人がいまやプロである。アイデアやデータにもとづきグローバルに発案する触発型のクリエーションと、人材や資源にもとづき、ローカルに根付く循環型のプロダクションへと、現代のものづくりは分岐している。そのとき、物に魂を込める属人的なものづくりの職能は再検討を迫られる。その再検討を担い、物と人との従来の関係を刷新するのが、プロなのである。

エリートではなく、「自分の居場所を作り出す」人がいまやプロである。学校教育や会社組織は合理的に振る舞う計算高いエリートをつくりだす。だがそこからはイノベーションは生まれない。むしろ「個を開き、変化の扉を開く」ことで、人々の中に眠る才能が発揮されうる関係性を組織するのが、プロなのだ。

当日の様子

たしかに考えてみるに、素人の生活者とAIの脅威に対抗して、同じ土俵で既存の職能をますます高度化していく方向性にデザイナーの未来はない。なぜなら素人と能力を取り合うゼロサム競争は生活者から何かをつくる力をますます奪っていくだけだろうし、何よりその競争にデザイナーはいずれ敗北するだろうからである。

むしろデザイナーのプロとしての能力とは、田村さんが言うように、生活者のデザイン力を支援し、人々を固定したあり方から解放して、エイブル化していく刷新力にあると思われる。だがそれもまた、いずれ生活者自身が担うべき能力であろう。

だとすればプロとしてのデザイナーとは消え去る運命にあり、その消え方の美学に最後のプロ意識を賭けていることになる。田村さんが主張する「フロンティアを拓き、自らの手で耕し、独立を手にする21世紀の革命家」としてのデザイナーは、未来の生活者のあるべき姿そのものである。たしかにそういえば、ウイリアム・モリスもまた、そうした「革命」に奉仕する前衛としての役割をデザイナーに待ち望んでいたのであった。

(古賀徹)

田村 大