2021.11.30

第22回デザイン基礎学セミナー『天然知能のデザイン』

デザインは、あらかじめ規定される目的や条件の構造から逃れられないように思われるだろう。つまりその構造の中にあることでこそデザインの真価や秩序が示されるのではないか。いや、そうではない。あらゆる構造から逸脱し、むしろ逸脱こそをデザインする、そのような生きている我々の知性とは?

講師

郡司ペギオ幸夫 Dr. Yukio-Pegio Gunjii (早稲田大学理工学術院基幹理工学部表現工学科教授)

早稲田大学理工学術院基幹理工学部表現工学科教授。著書に『天然知能』(講談社メチエ、2019)、『やってくる』(医学書院、2020)ほか多数。最近では天然知能を提唱し、生きていることの「不自由さ」や「トラウマを磨く」ことに創造的営為や意識の源流を探る。
http://www.ypg.ias.sci.waseda.ac.jp/index.html

日時

2021年10月29日(金)17:30-19:30 (開場 17:20 開演17:30)

会場

オンライン

レビュー

天然知能とは

真に今現にあるもの、潜在するものを見つめる知を、郡司先生は「天然知能」と呼んでいます(郡司, 2019)。著書において、郡司先生は天然知能、人工知能、自然知能を比較しながら知のあり方、創造のあり方を示しています。郡司先生によれば、天然知能はしかし、人工知能の対義語ではありません。人工知能の対義語は自然知能です。人工知能は「わたしにとっての」知識世界を構築する対処です。それに対し、自然知能は世界を理解するための知識を網羅的に蓄積することから、自然知能は「世界にとっての」知識世界を構築する対処と言えるからです(郡司, 2019)。人工知能は知覚できたデータだけを問題にし、自然知能は問題や謎として知覚されたものだけに興奮します。一方で天然知能は見えないものに興奮できます(郡司, 2019)。天然は日本語ではピントのずれた感覚を揶揄する表現ですが、まさに天然知能は、ただ世界を受け入れるだけでありながら、目前の理解可能な世界を逸脱し、見えない外部、つまり知覚世界の外側に唯一接続していける知能なのです。

天然知能と人工知能の思考様式

講演において、郡司先生はまず人工知能的なデザインと天然知能的なデザインを対比させ、それぞれの在り方を示しました。「デザイナー自身の形に対する考え方と、クライアントが要請するコンテクストの間で折り合いをつけ完成する」のが人工知能的デザインです。対して、「デザイナー自身の形に対する考え方と、クライアントが要請するコンテクストの間で、突然閃いて生成する」のが天然知能的デザインです。

人工知能的思考様式におけるデザインは、郡司先生はブルックスを引用し、自動掃除機のルンバに見出しました。ゴミとは何かを定義するならば、ここではそれは「ルンバが吸い取ったもの」と言えます。しかし実際には、ルンバがゴミを認識するとき、床に落ちた吸い取れるサイズのゴミを知覚して吸い取ります。しかし仮にそこにゴミでないもの、小さな宝飾品の落し物でも、ゴミとして吸い取ってしまいます。他方、使用済みのドリンクのプラカップなどの大型のゴミは、ゴミであるにもかかわらずゴミとして認識しません。我々人間も、同様の間違いを犯すのです。我々は認識できる、理解可能なものを世界とし、理解不可能なもの、認識できないものは「無いもの」として無視されがちです。郡司先生は著書において「哲学的に死は存在しないから恐れる必要がない」というケーガンを批判しています(郡司, 2020)。自らが知覚できるものだけを世界とすることは、理解可能であるというだけの擬似的世界しか信じない・見ないということです。それはまさしくルンバの認識するゴミの定義と同義なのです。

世界は、知覚できないが存在する外部に通じています。そのような外部を受け入れた世界を生きることこそが、天然知能のデザインが発揮されることなのです。人工知能的思考様式から天然知能的思考様式へシフトした著名なデザイナー=建築家として、郡司先生はアレグザンダーを例に挙げました(郡司, 2022)。アレグザンダーは前期においてデザインの数学を駆使し、建築の理論を構築しています。それが、前期アレグザンダーの仕事として有名なパターンランゲージです。局所的な構造であるパターンをセミラティスの中に埋め込んでいく方法は、論理的な等質空間を構築しますが、そこに外部の参与する隙はありません。アレグザンダーはその後、前期理論を自ら否定し、後期アレグザンダーと呼ばれる「生きた構造」を作り出す方法「ザ・ネーチャー・オブ・オーダー」を示しています。郡司先生は、この後期のデザインのあり方を、「肯定的/否定的アンチノミー」という理論によって示し、天然知能のデザインの具体的方法へと導きました。

肯定的/否定的アンチノミー

郡司先生は、肯定的/否定的アンチノミーについて、自身の経験した発達障害の友人との対話、コントラクト・インプロビゼーションと呼ばれるダンスの即興形式、NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」、中村恭子における「書き割り」を示した日本画の制作などを例に具体化しています。中でも、本稿では中村の書き割りを例にレビューを進めます。舞台背景装置である書き割りとは、表面のみに風景が描かれた一枚の板状の画で、こちら側からのみ、世界の空間としての風景を表しています。書き割りの山並みの画では、山の頂上と裾野とでは本来大きな距離があり、遠景と近景とで距離を隔てるものであるのにもかかわらず、一枚の板状に距離感をゼロに潰された様式をとる。この「遠景かつ近景である」状態を、異なる両方が成立する肯定的アンチノミーと呼びます。一方、書き割りを裏に返すと、そこには何も描かれない、つまり裏側に空間は存在していません。つまり、「遠景・近景いずれでもない」、距離を定義しない状態が成立する否定的アンチノミーと呼びます。肯定的アンチノミーと否定的アンチノミーが同時に成立する状態は、理論的にはあり得ず、どちらか一方が成立する時にはもう一方が消えてしまいます。ところが、両方が同時に成立するようなことが天然知能の思考様式において起こります。郡司先生は、中村の制作にそれを見出しています(Guji & Nakamura, 2021)。

中村は遠近法を用いた空間がもたらす遠・近概念を放棄し、書き割りの世界を積極的に構築した絵画を描きます。それは、裏がない=向こう側がないことで、つまり知覚できない外部を、書き割り平面によって示していくものです。郡司先生はここに、遠近概念を逸脱として肯定的/否定的アンチノミーが同時に成立する状況を論じます。肯定的/否定的アンチノミーが同時に成立することを表出することで、外部がもたらされます。それこそが、創造です。「生きたデザイン」とは、外部がもたらされるような仕掛けとして肯定的/否定的アンチノミーを構想することであると言えます。郡司先生は最新の研究成果として、肯定的/否定的アンチノミーとして関係付けられない関係を二項関係で表すとき、準直和ブール代数系という量子論と極めて関係の深い論理構造が現れることも示されました(Guji & Nakamura, 2021)。

最後に、身近な例として、郡司先生は折りたたみ式ナイフの例を挙げました。切れ味のあるデザイン性の高いナイフのデザインを検討する際、デザイン性はナイフの持ち手の柄に発揮されるとします。この時、切れる刃(切れ味)/柄(デザイン)それぞれが肯定的に成立するアンチノミーを担保します。ここに、刃の危険性を否定し持ち手の柄の内側の装飾性も発揮できないという否定的なアンチノミーも同時に成立させるようなデザインこそが、折りたたみ式ナイフです。デザイナー自身の形に対する考え方と、クライアントが要請するコンテクストの間で、「両者の辻褄の合わなさに集中し、それを裏返して、想定もしていなかったアイデアへ至る」のが天然知能のデザインであると郡司先生は説きます。肯定的/否定的アンチノミーが同時に成立するような、辻褄の合わないような状況はトラウマティックであることから、郡司先生はトラウマ構造と呼びます。トラウマを受け入れて、圧倒的な強度を持ったトラウマを「磨く」先に、外部は「やってくる」のです。

(中村恭子)

参考文献

  • 郡司ペギオ幸夫 (2019)『天然知能』講談社メチエ
  • 郡司ペギオ幸夫 (2020)『やってくる』医学書院
  • 郡司ペギオ幸夫(2021)表象文化論学会第15回大会報告「パネル4 脱創造:外部と接続するための創造的営為」https://www.repre.org/repre/vol43/conference15/4/
  • Gunji, Y. P. & Nakamura, K. (2022) Kakiwari: The device summoning creativity in art and cognition. In: Unconventional Computing, Philosophies and Art (Adamatzky, A. ed.) World Scientific, Singapore (in press).