2019.10.7

第10回デザイン基礎学セミナー『まなざしのデザイン──モノの見方を変えるとは?』

私たちは日々の生活の中ですぐに何かに捉われてしまいます。モノの見方が固定されてしまうと、物事が正しく見えないことがあります。その状況が困難であればあるほど、私たちは時々視点を変えて、異なる方法で世界を見る必要があります。モノの見方を変える『まなざしのデザイン』。より自由に、より創造的に世界を見ることで、見えなかった風景や忘れていた大切なことが見えてくるかもしれません。

講師

ハナムラ チカヒロ

1976年生まれ。博士(緑地環境計画)。大阪府立大学経済学研究科准教授。ランドスケープデザインをベースに、風景へのまなざしを変える独自の理論「トランスケープ/TranScape」や領域横断的研究に基づく表現活動を行う。著書『まなざしのデザイン:〈世界の見方〉を変える方法』で平成30年度日本造園学会賞受賞。

飯嶋 秀治
九州大学大学院人間環境学府 准教授。専門は共生社会学。

古賀 徹
九州大学大学院芸術工学研究院 教授。専門は哲学。

藤田 雄飛
九州大学大学院人間環境学府 准教授。専門は教育哲学。

南 博文
九州大学大学院人間環境学府 教授。専門は環境心理学。

*九州大学大学院人間環境学府多分野連携プログラム「遊びと洗練」との連携セミナー

日時

2019年10月7日(月)16:30-18:30

会場

九州大学大橋キャンパス デザインコモン2F

レビュー

ハナムラチカヒロさんのお話は、デザインと宗教というこれまであまり光の当たらなかった領域に踏み込むもののように感じられた。とはいってもそれは教会や寺院のデザインといったことではない。意識がその背後にかかえこむ膨大な無意識のことである。

たとえば風景(ランドスケープ)がそうだとハナムラさんは言う。風景が成立するには土地(ランド)と、それを見ること(スケープ)の双方が必要である。だが見えるものとしての土地は意識されていても、それを見ている自分はそのとき意識されはしない。それは見えない何かとして、見えるものをその背後で支えているのである。

見える風景といえども、それに見慣れてくると、日常化してもはや意識されなくなってくる。それは習慣化され、自動化されて私たちの意識の背後に沈み込み、不可視の制度や文化や身体を形成し、私たちを日々突き動かしている。ハナムラさんによれば、この無意識の総体こそが私の自我をかたちづくっているのである。

当時の様子

われわれの文明はそうした自動化された無意識により、自然と人間を破壊し、また自分自身をも窒息させ、日々すり減らせている。その現実を直線的に変えようと思っても事態は余計に悪くなる。というのも、何かを変えようと思う自我そのものがその当の無意識によって作り上げられているからである。それはいうなれば、宗教的な意味での罪のようなものである。

多くの宗教が教えるところによれば、超越者へと赴くことによって、また超越者の力によってはじめて、ひとは現状の自我から抜け出すことができる。そのとき世界はただそのままに、しかし全く違った相貌で現れるようになり、私は罪の連関から救済されるはずである。
これに対してハナムラさんは、病院の巨大な吹き抜けにシャボン玉と霧を満たしたり、バンクラデシュの援助プロジェクトで赤い蛇の堤防を築いたりして、日常化したものに新鮮な視線を向けるプロジェクトを積み重ねてきた。それは、現実を違った目でみる訓練によって無意識を意識化し、そうすることで現状の自我を抜け出し、自己と文明を救済に導こうとしているかのようである。

見慣れた風景や自己の身体、社会のあり方を、異なった視線によって意識化すること、そのように視線を導くきっかけを与えること、これがハナムラさんの言う「まなざしのデザイン」である。それはある意味で、超越者なき自力修行のようなものかもしれない。神なき世界にあってまなざしをデザインできるのか、そのときの私とは何か、何がその私を助けてくれるのか、それを見定めようとすることにハナムラさんの挑戦はかかっているように思われる。

(古賀徹)

ハナムラ チカヒロ
飯嶋 秀治
古賀 徹
藤田 雄飛
南 博文