2021.3.4

第19回デザイン基礎学セミナー『路上生活からみえること』

自身の置かれている立場や状況によって、この世界の様相はまるで別物のようにみえます。貧困、労働、女性蔑視などが生み出す社会的排除…。私たちの社会が様々な問題を孕んでいることは自明ですが、一体どれだけのリアリティをもってそれらに対峙しているのでしょうか? 今回の講演では、ブルーテント村やダンボールで寝泊まりする、いわゆるホームレス生活を送りながら鋭く社会を見つめるアーティストのリアルな社会問題との関わりについて知るとともに、アートやデザインそのもののあり方についても再考する機会を設けたいと思います。

講師

いちむらみさこ(アーティスト/アクティビスト)

日程

2021年3月4日(木) 17:00-19:00

会場

オンライン

レビュー

 
「社会的包摂が生み出す社会的排除」というフレーズが未だに頭から離れない。
 
いちむらさんは東京藝術大学大学院を修了した後、2003年から東京でホームレス生活を送りながら、ブルーテント村で「エノアール カフェ」という人が集う場を形成して、「絵を描く会」や「パン・ティー Party」を開催したり、「ノラ」という女性ホームレスのグループを結成し、布ナプキンやZINEを制作したりと、様々なアート的な取り組みを実践してきた。
 
公園や路上でホームレス生活を送ると、様々な社会的排除に遭遇する機会があるという。例えば、公園に設置されているベンチ一つをあげても、普段我々が見落としてしまっている社会的排除が潜んでいる。一見すると、よくある普通のベンチだが、不必要な肘掛けが執拗に取り付けられており、そこで寝られないようにデザインされている。いちむらさんはこのようなベンチを「排除ベンチ」と呼び、そこで敢えて寝るパフォーマンスを繰り返した。このような静かだが強固な抵抗の表現は、日常に潜む社会的な闇を如実に浮かび上がらせる。
 
「246アートギャラリー」でのパフォーマンスもまた然りだ。まちづくり協議会とデザイン学校のアートプロジェクトによって描かれた壁画の前で、ホームレスのダンボールハウスが放火されるという事件が発生した。いちむらさんは、この事件を風化させないために、事件直後の焼け跡が残る現場で敢えて寝るという表現活動を行なった。ホームレスの間ではダンボールで作られた箱状の簡易仮設住居が「ロケット」と俗称で呼ばれているという。この「ロケット」の中で連日夜を過ごした。放火の事件現場で寝ることには当然、襲撃などのリスクが伴う。大事には至らなかったものの、実際に襲撃も受けたという。そのような状況を改善すべく、煤で黒くなった壁を宇宙や夜空に見立て、壁や床などに銀紙で作った星々を散りばめて装飾を施した。これは、襲撃する人々の暴力的な衝動を煙に巻くという必然から生み出された自己防衛のための生きる知恵であった。また同時に、星々が瞬く宇宙空間をロケットに乗って遊泳するというロマンティックなイメージを付与することによって、社会的排除を批判するシニカルな表現へと昇華している。
 
次に、オリンピック・パラリンピック招致によって激化する社会的排除が紹介された。平和の祭典と銘打って推進される再開発のために公園や団地が取り壊され、多くの社会的弱者が窮地に追いやられている現実があるが、こうした事業にはアート、デザイン、福祉などが利用され、巧みにカムフラージュされることが少なくないという。例えば、渋谷区の宮下公園では、「MIYASHITA PARK」の開発工事のために強制的な退去が実施された後、公園を封鎖するフェンスに「ダイバーシティ」をテーマとする壁画が描かれた。この壁画は「世界最大級のアートを渋谷・宮下公園に完成させよう!」というキャッチフレーズのもと、多くの美大生がボランティアとして集められて制作されたものだが、そこに描かれた「多様性」の中にはホームレスが含まれていなかった。そこで、いちむらさんは公園で暮らしていた人々と協力し合い、等身大のアバターをダンボールで作成し、既存の壁画に描かれていないホームレスのイメージをフェンスに貼り付け、一種のコラージュ作品を制作した。フェンスを乗り越えようとするアバターのイメージは、多様な人々を分断する概念的な境界線を乗り越えていく意志を表すものであったという。
 
また他にも、社会的弱者によって社会的弱者を排除させる事例が紹介された。ホームレスを追い出すために、わざわざ陽の当たらない高架下にコンクリート製のプランターを配置し、障がい者の雇用創出を謳って、植物の世話をさせるという福祉事業である。このように、社会的排除は襲撃のようなあからさまな暴力として表出するものだけではなく、最近では、「ダイバーシティ」、「インクルージョン」、「緑化」などの言葉を巧みに利用しており、一見すると善良な事業に見えるようなものも少なくないという。
 
「社会的包摂」とは本来、「社会的排除」をなくすために考案された概念ではなかったか。ここではむしろ「社会的包摂」によって「社会的排除」が生み出されるというパラドックスが生じている。マジョリティによって都合良く解釈された「社会的包摂」という言葉は、時として「社会的排除」を生み出す危険性を孕んでいるのだ。このような絶望的な現実に直面してもなお、自分らしく尊厳をもって生き抜くために抗い続けるいちむらさんの姿勢や表現からは、不思議と表面上は静かな印象を受ける。それは、社会を鋭く見つめる表現者として、内に秘めた強固な意志をどうすればより深く強く人々の心に響かせられるのか熟考した結果の現れではないだろうか。
 
新型コロナウィルスの感染拡大の影響により、ホームレスも急増し、ストレスを抱えた人々による襲撃も増えているという。今後益々社会状況は厳しいものになっていくだろう。いちむらさんは、このような困難な状況を改善していき、都市そのものが「ホームフル」になっていくことを目指していきたいと、希望の言葉で締めくくった。

(栗山斉)

いちむらみさこ氏