2021.3.18

第20回デザイン基礎学セミナー『持続可能な"善意"のデザイン』

誰でも50分のお手伝いで一食無料券がもらえる。壁にはその無料券が貼られ、それを使えば誰でも食事ができる。「誰かの役に立ちたい」、困ったときでも「温かいご飯を食べて欲しい」。だが渦巻く “善意” は脆弱でもある。脆さを強さに変える関係性のデザインとは。あなたの “ふつう” をあつらえる「未来食堂」の挑戦を語る。

講師

小林せかい(株式会社未来食堂 代表)

東京工業大学理学部数学科卒業後、日本IBM、クックパッドで6年半エンジニアとして勤めたのち、 1年4ヶ月の修行期間を経て2015年、東京都千代田区に「未来食堂」を開業、安定経営を続ける。著書に『ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理由』(太田出版、2016年)、『誰でもすぐに戦力になれる未来食堂で働きませんか──ゆるいつながりで最強のチームをつくる』(祥伝社、2019 年)ほかがある。「日経WOMANかウーマン・オブ・ザ・イヤー2017」受賞。

日程

2021年3月18日(木) 16:30-18:30

会場

オンライン

レビュー

だれでも50分のお手伝いで一食無料券がもらえる。もらった人は、自分の食事にそれを使ってもよいし、壁にその無料券を張りだすこともできる。壁に貼られた券を使えば、そこを訪れた人は誰でもすぐに食事ができる。お手伝いをして誰かの役に立ちたいという「まかない」、料金を支払えなくとも「温かいご飯を食べてほしい」という「ただめし」のシステムを、一食900円の日替わり定食を提供しつつもフル稼働させる、そんな場所が未来食堂だ。

“善意”によってつくられた限りある資源を誰でも自由に、いくらでも使えるオープンなシステムは、エゴイスティックで心ない利用者によって早晩崩壊する。「共有地の悲劇」として知られるこの破綻モデルは、むしろ“善”より悪に動機づけを与え、道徳の荒廃をも促進する。にもかかわらず、未来食堂がこのシステムを持続させ、かつ黒字を続ける秘密は何か。小林せかいさんのお話はそれをめぐって展開された。

まずは、当の「ただめし券」を使用するときにつねに「関係」を意識させる工夫がある。無料券には、それを稼ぎ出したまかないさんの言葉が書き添えてある。それを使用する人はそれを読んで利用した日の日付をそこに書き込まなければならない。たしかにそのとき、利用者はまかないさんの“善意”に応える資格が自分にあるかをそのつど自問することになる。そこでは関係の具体性が所有の概念を掘り崩す。だがこれはちょっと重い。本質ではない。

真の秘密は別のところにある。それは未来食堂の善意は、かぎりなく薄いということである。ひとはともすれば、善い目的のためには犠牲を厭わない。そしてそのことが、その善意をより価値あるものにすると考えがちである。人類のため、社会のため、学生のため、子どものため、ホームレスの人のため、障害を持つ人のために、自分の時間と金銭と生命を犠牲に捧げるとき、その行為はより尊く、より重く、より善いものとなる。だがそうやって形成された“善意”は、ときにぶすぶすと重苦しい臭気を放ち始める。

“善意”の犠牲は“善意”の報酬を求める。それが得られないとき、私がこんなに頑張ったのにこんな人のためにそれが使われるなんてと、そう思うようになる。「食事券は本当に困った人に使って欲しい」、「そういう人もいつかは働いてお返しして欲しい」。こうして、善意・自発・贈与が、悪意・強制・交換に転化するのである。

とすれば善意を善意のままにとどめておくためには、そのための犠牲をできるだけ低減するデザインが求められることになる。まかないは困窮者を救済するための自己犠牲とは限らない。その動機は、飲食業のスキルを身につけたかったり、アスレチックジムのようにただその時間だけ身体を動かして充実感を得たかったり、噂の小林さんと一緒に働いてみたかったりなど、さまざまであってよい。そうなると、自分が働いて得た食事券が「本当に困った人」のために使われているかどうかに意識を集中させなくともよくなっていく。

未来食堂もまた基本的にまかないさんがいなくても小林さん一人で回していける。だからまかないさんにはその時間分しっかり働いてもらうとしても、過剰な要求も期待もしない。いつでも出入り自由で大丈夫。だからこそ、だれでもその能力に応じて、気持ちよく充実した働きができるように仕事をしつらえることができる。未来食堂は基本的に日替わりメニュー1種類のみである。だから市場で余った食材をとても安く仕入れて、それに合わせてその日の基本メニューをしっかり構成できる。だからこそ、余った労力と時間で、お客さんのその時々の状態にあわせてちょっとした追加メニューを「あつらえ」ることもできる。

エンジニアであった小林さんは、すべての接点で参入コストを削減し、善意のための犠牲を最小化し、人々の善意そのものまでをも蒸発させるかのようなシステムを構築した。とはいえ善意は、承認と報酬に狙いを定める重い個体から、その場を流れる気体へと姿をかえて、そこの空気をすがすがしくする。そうした浩然の気こそが、そこにかかわる人々がそれぞれのそのひとらしさを回復させゆく「場所」をはじめて形づくるのである。

小林さんの言葉で印象に残った一言がある。クッキーを二つに割って、大きな方をお客さんにあげることができれば飲食業は成立する、というのである。自己犠牲っぽいその言葉に一瞬違和感を覚えたが、でも、誰とも知れない誰かに向かって放たれたその剰余分は、気体となって店の中をしばらく漂い、そのまま消え去っていくのだろう。

食事券がもらえる「まかない」は、それ自体が楽しいのでいつも大人気。ひょっとしたら、その一部がいつかどこかで誰かを助けるのかもしれない。そんなさわやかな資源が次々と供給されるので、どんな人がどんな動機でどれだけ「ただめし」したって全然大丈夫、のはずである。むろん、「まかない」の対価として発行済みの券だから、どれだけ使われたってお店の懐は痛まない。

だがときに、まかないさんも、小林さんも、来訪者のふるまいに心が折れそうになることがあるという。やはりどうしても、どんな緻密なシステムにも、精神の修養が必要なときがあるのである。

(古賀徹)

小林せかい
古賀徹