反工業化としてのデザイン行為(ラスキンとモリス)
Designing as anti-industrialization (Ruskin and Morris)
19世紀前半のいわゆるロマン主義の時代のあとに、その思想的影響を強く受けた技術思想が英国で展開する。ラスキンとモリスのいう「デザイン行為 designing 」の思想がそれである。
ロマン主義が敵対したのはおもに芸術の領域におけるアカデミズムや、サロンに代表される社会制度、ブルジョワ的な社交形態であった。これに対し、19世紀後半のポスト・ロマン主義の主要な仮想敵は工業化と帝国主義の非人格的なメカニズムであった。ラスキンとモリスにとって、デザインの価値は工業製品の最終的なフォルムではなく、それを制作する行為や人間関係の形成自体といった過程に宿る。何かを形づくる有機的な身体を肯定し、それを実現する有機的な人間関係の構築を通じて、新しい社会のありかたを提案することをポスト・ロマン主義の時代のデザイン思想は目指すことになる。
工業化批判としてのそれらデザイン思想は、イギリスではアート・アンド・クラフト運動、ドイツ語圏ではユーゲントシュティール、フランスではアール・ヌーボといった有機的な曲線美を特徴とする様式を生み出したことで知られる。しかしながらその思想的特徴は、機能主義やDIY、パーソン・センタード・デザインなど、今日の人間中心主義的なデザイン思想の近代的源流とみなしうる。
ラスキンやモリスがまずもって批判の対象にしたのは、デザイナーが図案を書き、職人や労働者がそれを機械的に制作するという分業であった。その結果として職人や労働者の労働は、他者の指示に従って目的を達成するためのたんなる手段となり、その身体から喜びが失われる。産業にとって必要なのは設計図どおりに完璧に仕上がった製品のみであるから、労働者が人間として抱え込む不完全性、つまり線の揺れといった手の痕跡はすべて一掃すべきものとなり、職人もたんなる機械、奴隷のようなものに陥る。その結果、ラスキンにとってデザインは職人の魂を殺し、その身体を滅ぼす「死神」となり、モリスにとってそれは植民地インドの生活者から「手」を切り離す「野蛮」となる。その結果として生まれる最終成果物は、働く人や生活者の生命を養うことなく、新興ブルジョワ階級の虚栄心を満たすものにすぎなくなる。
ラスキンとモリスにとって物事の価値とは、その最終成果物に内在するものではなく、モノと人との、もしくは人と人との「連関 combination 」(モリス)のうちに宿るのであった。それゆえ価値は、前もって定められた設計図どおりに身体を従属させることによって達成されるのではない。むしろそれは、当初の設計図案を実現しようとして身体が心地よく活動し、むしろ当初の図案が修正されゆくようなダイナミズムのうちに宿るのである。その「かたち」は当然のことながら、最初の図案から見れば不完全なものである。だがそれが不完全であるがゆえに、そこに人々が参与し、さらなる形象が補われ、そのように連関が次々とかたちづくられていくのだ。
ラスキンにおいて価値は「もの」とそれを享受する「意向・能力」の組み合わせにおいて実現するものであった。これを引き継いでモリスにおいて価値は、自然と「手」の組み合わせ、ひいては、ある作業を次の作業へと接続する「手」と「手」の「結びつき」のうちで実現される。他者の「意向」を引き継ぐこと、そのための使い手と作り手の重なり合い、そのうちで自然を含むすべてのものの生命が活性化する。そのかたちをラスキンとモリスは「装飾 decoration 」と呼ぶのである。
愛をもって人々の不完全性を許容し、人々がエゴイズムから脱して互いに協力するように促す状況を作り上げるのは、ラスキンにとっては「主人」であり、「親方」であり、つまり「父」としてのデザイナーであった。人々は主人を慕いその指示に従うことでエゴイズムを克服し、人々の間での対等な隣人愛を実現できる。その主人役を務めるのがデザイナーである。それは人々に恩寵と命を与えるキリストを念頭に置く父権的なモデルであった。これは今日におけるコーディネータとしてのデザイナーという思想に引き継がれている。
これに対し、モリスにとってそのような「主人」は存在しない。人々はその時々の状況に応じて、すべて対等に互いを助け合う「社交的」な身体性を形成しうるとモリスは考える。デザイナーとはしたがって特定の人物ではなく、「手の工作者たち handicraftsmen 」、つまり民衆のことを意味する。これは今日の「誰もがデザイナー everybody designs 」(マンツィーニ)という思想に引き継がれている。〈誰か〉の意思を超えて、われ知らず〈誰か〉とつながり、そこに何かが生まれゆく。ラスキンがキリスト者であるとするならばモリスはアナーキストであり、超越なき社会主義者であるといえる。
いずれにせよ、現実の資本主義、社会主義や共産主義がその機械論的世界観によって人間の労働を極限まで機械化することを目指したとすれば、ラスキンやモリスは個体の次元での有機性を堅持し、「誰のためのデザインか」(ノーマン)ではなく、「誰の手によるデザインか」の次元に踏みとどまったのである。
(古賀徹)
関連する授業科目
未来構想デザインコース専門科目 デザイン哲学
参考文献
ラスキン『建築の七灯』(高橋松川訳、岩波文庫、1930 年)
ラスキン『ゴシックの本質』 (川端康雄訳、みすず書房、2011 年)
モリス『民衆のための芸術教育』(内藤史朗訳、明治図書出版、1971 年)